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新潟県有数の老舗醸造所である「山崎醸造株式会社」。味噌、醤油を醸造しており、地域性を重視した商品の開発にも力を入れている。

山崎醸造株式会社 馴染みのある商品に加え、最先端の商品を提供する老舗醸造所

県内有数の老舗醸造所「山崎醸造株式会社」

小千谷市(おぢやし)で味噌、醤油を醸造している山崎醸造株式会社。1940年に創業してから、県民に愛される商品を製造、提供し続けている。時代のニーズに寄り添い、たれやつゆ、調理みそ、塩こうじなどの加工品まで事業の幅を拡げ、総合調味料メーカーとして現在に至る。
起源を辿れば、江戸時代の後期まで遡る。家業として営んでいた酒造業のかたわらで、味噌と醤油の醸造を開始したことが創業のきっかけだった。周囲の人々から資金を募り、助力を仰ぎながら、当時では珍しかった「株式会社」の業態で立ち上がった。戦後は菓子の需要が増えたため、新潟県では米菓メーカーが相次いで創業。山崎醸造は、煎餅に合う醤油「二度仕込み醤油」を米菓メーカーと協力して開発した。米の風味と醤油がマッチした煎餅は飛ぶように売れ、米菓メーカーは全国区の企業に成長。米菓を新潟県の特産品にまで一気に押し上げた。

他社との協力で乗り越えた震災被害

新潟県内で大きく事業を展開させている山崎醸造株式会社。しかし、一度だけ生産が出来ない状況に陥ったことがあった。それは2004年、最大震度7を観測した新潟県中越大震災により、甚大な被害を受けた時であった。近隣で醤油醸造業を営む「新潟県醤油協業組合」も、同様に被災。当時、新潟県の醤油生産量は、山崎醸造と同組合の2社で大部分を占めていたこともあり、生産停止が続いてしまうと、県内の醤油生産量が極端に落ち込んでしまうことは明白であった。同時に、米菓メーカーに醤油を多く卸していたことから、米菓の製造も危ぶまれる事態となった。そこで、両社互いに醸造施設や人員を提供し合い、連日に渡り、夜通しで復旧作業を行う。この迅速な対応が功を奏し、震災のなんと1週間後には製造を再開させることに成功。その後も徐々に生産量を回復させることができた。両社は、当時の縁もあり、現在でも力を合わせながら、新潟県の醤油生産を支えている。

新しいニーズを取り入れながら、全国で愛される企業を目指す

山崎醸造は県内のみならず、全国へ商品を発信している。そのアイディアは常に最先端であり、現代のブームになっている塩こうじやカップ味噌汁、液味噌などを日本で初めて開発した。開発当時はシンプルな調味料が支持されており、人気は今ひとつだったという。しかし、今や当たり前ともなった普及・浸透率を考えると、山崎醸造の先見性の高さが伺える革新的なアイディアだったことが分かる。
商品開発で重視することは、調味料メーカーとして食品業界の役に立つこと、そして地域性を取り入れることだ。県内には多くの大手米菓メーカーが軒を連ねており、米菓の美味しさを引き出せることが重要と考えている。また、古くから地元地域に支えられてきたこともあり、地域性を大切にしているという。そのため、県の特産品である「南蛮エビ」や「のどぐろ」を用いた商品を開発。県内外で広く好評だ。今後も、本当に美味しいと思える商品を造っていくことで、新潟のトップ企業であり続けると共に、全国で愛される企業を目指している。

  • 山崎醸造株式会社
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生産者紹介

製造課長:高橋正一
製造課長高橋正一

小千谷市出身。高校卒業後、在学中にアルバイトしていた山崎醸造株式会社に入社した。当初は醤油製造部門に在籍していたが、約10年の勤務を経て味噌製造部門へ。醤油と味噌の製造に精通したプロフェッショナルだ。醸造の仕事は、主に麹菌の管理。麹菌は生きているため、安定した製造は容易ではない。「長年の経験を経て、麹菌に最適な環境の整え方を体で覚えてきた」と語る。現在は、30年以上の経験から得たノウハウを若手社員に引き継ぎ、次の世代を育てていくことに従事する。「搾りたて生しょうゆ」を用いた好きな料理は、香りを楽しめる冷奴とチャーハン。

店舗詳細

店舗名称 山崎醸造株式会社
住所 新潟県小千谷市東栄3-7-4