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1894年(明治27年)創業。銘菓「くろ羊かん」を作りつづけて120年以上の老舗和菓子店。また、柏崎名物にもなっている「網代焼」は、工業米菓の先駆けとなった一品だ。

菓子道楽 新野屋 作り手も、召し上がる方も共に楽しむ、「菓子道楽」の精神

菓子を通じた心のつながりを大切にする老舗

柏崎市にある「菓子道楽 新野屋」は、1894年(明治27年)に創業した老舗の和菓子店だ。店名にある「菓子道楽」は初代・新野信太郎さんが残した訓示。「菓子をつくる者もそれを召し上がる方々も共に菓子を通じて心をつなぎ合い楽しむこと」という意味である。その初代の精神を受け継ぎ、現在の5代目に至るまで120年余り、菓子を作り続けてきた。初代・新野信太郎さんは、片貝羊羹で有名な小千谷市片貝の出身。農家の生まれだが、身近だった和菓子職人に憧れ、いつかは自分も職人になることを夢見ていたという。その熱い想いは青年になっても冷めることはなく、同じ片貝地区の出身者のツテを頼りに、東京の和菓子店へと修行に赴いた。その後、地元名物の羊羹を極めたいと考え、さまざまな和菓子店でさらなる修行を重ねる。そして、20歳を迎えた年に新潟県へ戻り、柏崎市に新野屋を開業した。当時からの看板商品は、「くろ羊かん」。沖縄産黒糖をたっぷり使った羊羹で、香ばしさやコクが格別の羊羹だ。商品名は黒羊羹にしたかったそうだが、石川県金沢市の老舗和菓子店が同じ名前の羊羹を販売していると知り、敬意を払って現在の名前に決めたという。くろ羊かんはすべて手作りで、その製法の大部分は代々の当主が一子相伝で受け継ぐ。120年以上変わらない伝統の味は、現在でも多くの人を虜にしている。

工業米菓の先駆け「網代焼」

くろ羊かんで有名な新野屋は、実は現存する「日本で最も古い工業米菓企業」でもある。最初に作りはじめた商品の名前は「網代焼(あじろやき)」。地元・柏崎の名物ともなっている米菓だ。販売開始されたのは、1907年(明治40年)のこと。当時、菓子は高価なもので、まだまだ庶民には手の出せる代物ではなかったという。そこで、「もっとたくさんの人に菓子を食べてもらいたい」という想いを持っていた初代・新野信太郎さんが、手軽さ・美味しさ・日持ちをコンセプトに開発した。商品名の由来は、かつて原料にしていた「小魚粉」。その小魚を採る網に着目して命名したという。さらに商品自体も、可愛くぽってりとした小魚型にしている。また、初代・新野信太郎さんは、工業米菓をもっと広めようと、家族や親戚を中心にその製法を伝えていったという。また、「新潟県米菓工業協同組合」に後につながる「日本米菓協会」を立ち上げ、新潟県食品研究所の設立にも協力し、工業米菓の礎を築いていった。それから100年近い月日が経ち、新野屋でもさまざまな米菓を作ってきたが、網代焼はいまでも愛されつづけている商品。現在でも、懐かしい味が世代問わず親しまれている。

  • 菓子道楽 新野屋
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  • 菓子道楽 新野屋
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生産者紹介

5代目(次期当主):新野博人
5代目(次期当主)新野博人

柏崎市出身。老舗菓子店の新野屋に生まれたが、もともと家業を継ぐつもりはなく、東京の大学を出て、そのまま他業種に就職したという。転機となったのは、東日本大震災。自身も被災したが、同時に地元・柏崎市も震災の影響を受けた。これをきっかけに、2012年春に新潟へ戻り、家業に入る。「それまで修行をしてなかったので、一からお店の歴史や菓子のことを学ぶのは大変でした」と当時を語る新野さん。現在も4代目(父)から、名物の「くろ羊かん」づくりを学び、伝統の味を守っていくために修行している。また、若い人にも米菓や羊かんを食べてもらいたいと、新商品開発にも取り組んでいるという。「和菓子を通じて、昔ながらのおもてなしを知るきっかけになってほしい」と熱く語ってくれた。

店舗詳細

店舗名称 菓子道楽 新野屋
住所 新潟県柏崎市駅前1-5-14
営業時間 月~木:9:00~17:30
金・土:9:00~18:00
定休日 日曜不定休(12月は無休)