有限会社 乙まんじゅうや
新潟県胎内市 店舗カテゴリ:和洋菓子店江戸時代から続く老舗まんじゅうや。乙宝寺の門前にある「乙まんじゅうや」ならではの「おもてなし」を目指す。
江戸時代から続く老舗まんじゅうや
新潟県胎内市の乙宝寺(おっぽうじ)門前に店を構える「乙(きのと)まんじゅうや」。こちらのお店は江戸時代から続いている老舗のまんじゅう店。日本各地では様々な名物まんじゅうが存在するが、乙まんじゅうはもち米と米糀を使って作られた「酒まんじゅう」として新潟最古の歴史を持つ。元々まんじゅう作りの職人であった初代、萬屋重吉(よろずやじゅうきち)が、乙宝寺の住職であった祐範を慕い、福島伊達郡よりここ乙の地へやってきたことが始まり。萬屋重吉は、祐範から乙まんじゅうの製法を継承し、1804年に現在の「乙まんのじゅうや」として乙宝寺の門前に店を構えた。
200年以上の歴史を受け継ぐということ
現在、11代目になる乙まんじゅうや。お店には初代から受け継がれている日禄が飾られており、時代の変化や作り手の思いが綴られている。創業当時から代々伝統を継承し、材料やその製法が今もほとんど変わっていない。保存料や添加物などの余計なものは一切使用せず、材料は国産のものだけを使い、一つ一つ丁寧に人の手で作るというこだわりを貫いている。今も昔も変わらない味は地元で親しまれ愛され続けている。
そんな歴史ある老舗を引き継ぐ、11代目の久世俊介さん。最近になってこの店の役割について強く意識するようになったと話す。お店を継いだ当初は、乙まんじゅうの味をもっと世間に広めようと新商品の開発に力を入れていた。もちろんお客様にも喜んでもらえることを想像していたが、地元のお客様から返ってきた反応は想像していたものとはまったく別のものだった。常連のお客様から「伝統を壊す気なのか」という厳しいお叱りを受けてしまったのだ。当初はとてもショックを受けた久世だんだが、最後まで奮起して商品を完成させた。努力の甲斐もあり、2014年に発表した乙まんじゅうに米粉をまぶして揚げた「揚げまんじゅう」が、国際ご当地グルメグランプリ「米粉グルメ部門賞」を受賞。今では地元にも受け入れられている人気商品だが、新商品を出すだけで叱られるというのも珍しいものだ。「長年、乙まんじゅうを愛してくれる人がいることを改めて強く感じた」と笑顔で話す久世さん。改めて200年以上も続く伝統を強く意識し、大切にしていこうと考えるようになったという。
江戸時代から未来に向けての「おもてなし」
乙宝寺には一年を通じて多くの人々が参拝に訪れる。春の花見や初詣、また、お釈迦様の左目が納められた寺としても有名で観光客も多い。久世さんは、乙まんじゅうや11代目として伝統を次世代に伝えながら「おもてなし」の心を大切にしている。創業当時と変わらない地元で愛され続ける茶店として、これからも参拝客の体も心も休める場所で在り続けたいと話す。
生産者紹介
11代目久世俊介
1988年新潟県胎内市乙生まれ。中学生の頃に通っていた塾の講師に憧れ、大学は教育学部に進学する。その後、関東の教育機関に就職。老舗まんじゅうやの長男ならば後継者として厳しく育てられたのかと思いきや、親から家業については何も言われなかったという。むしろ外に出ることに背中を押してくれていた。
久世さん自身は社会人として働くなかでも「乙まんじゅう」は後世に残すものだという思いを抱き続けていた。2012年、結婚を機に地元へ戻り、乙まんじゅうやの11代目となる。当初は子供の頃からまんじゅうが近くにあり過ぎて気づかないことがあったけれど、現在200年以上も続く老舗店として地域のなかでの役割を強く感じているとのこと。乙宝寺の門前にあるまんじゅうやとして、要望があれば観光案内や駅までの送迎も行なう。参拝帰りにゆっくりと休める場所として店内にはイートインスペースを設け、外には街並みを見ながらくつろげるベンチを置いた。乙という場所を楽しんで欲しいという久世さん流のおもてなしだ。夢は乙の子供達が県外に出た時に「うちの地元は凄いんだぞ!!」と笑顔で話せる街づくり。地域活性を目指し乙まんじゅうや11代目ならではのおもてなしを発信する。
店舗詳細
店舗名称 | 有限会社 乙まんじゅうや |
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住所 | 新潟県胎内市乙1235 |
営業時間 | 7:00~19:00 |
定休日 | 不定休 |