井口農場
新潟県南魚沼市 店舗カテゴリ:農家・農業法人南魚沼を知り尽くした米作り40年の経験を持つ大ベテラン農家。南魚沼特有の気候風土を深く理解し、毎年改良を加えながらより美味しいお米の栽培を目指している。
南魚沼産ブランドの農産物
新潟県の南部に位置する南魚沼市。四方を八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳から成る越後三山などに囲まれた自然豊かな地域である。南魚沼といえば日本一のブランド米として名高い魚沼産コシヒカリや全国的にも有名な八色産スイカの産地としてご存知の方も多いのではないだろうか。冬季には積雪が数メートルにも及ぶ豪雪地帯ながら、美味しく質の高い農作物が育つ土地である。なぜこのような雪国で農産物が豊かに実るのか。それは南魚沼地区の農環境が恵まれていることが大きな要因であるが、それだけではなく遥か昔から、この土地の先人たちが雪国ならでは美味しい農産物作りに力を注いできたからに他ならない。雪を生かした農業を大切に大切に繋いできた歴史があるからこそ、今日の南魚沼ブランドがあるのだ。
さて、今回はそんな魚沼地区で南魚沼産ブランドの農産物を育てている井口農場に訪問させていただいた。代表の井口登さんは40年以上に渡り、ここ南魚沼でコシヒカリの生産に力を注いできた大ベテラン農家である。南魚沼特有の気候風土を深く理解し、毎年改良を加えながらより美味しいお米の栽培を目指してきた。また、コシヒカリだけでなく、県外からも評判の高い八色産スイカの栽培も同時に手掛けている。
その時その状況によって最善の手を尽くす
40年以上もの長い間、稲作と真摯に向き合ってきた井口登さん。もう米作りでわからないことなどないのではないかという筆者の問いに「かれこれ40回以上も米作りを行ったことになりますが、未だに難しいです。」との返答。熟練の技を持ち、南魚沼の気候風土をどれだけ理解しても、毎年確実に美味しいお米が作れる保障などないのだという。その年によって天候は変わり、また土壌の状態も変わる。一つの正解を固定するのではなく、その時その状況によって最善の手を尽くすことが大事なのだと話す。例えば、隣り合っている田んぼでも、土壌における空気・養分の含有率や微生物の活性化具合、また、日当たり風当たりなどの自然条件、これらすべてが同じ状態ということはないのだという。現在15ヘクタールもの田んぼ面積がある井口農場。すべての田んぼそれぞれの性質を理解することは容易なことではない。しかし、田んぼ1枚1枚の状態を理解し、堆肥や藁を加えるなどの適切な作業を行わなければ安定して美味しいお米は作れないのだそうだ。毎年毎年少しずつ失敗を埋める努力を積み重ね、今日に至る井口さんの米作り。未だゴールはなく毎年精進を重ねている。
次の世代に繋ぐために
井口農場では、現在、娘婿にあたる井口忠道さんが修行中とのこと。忠道さんは主に八色産スイカの栽培を担当しており、米作りと併せて代表の井口登さんから学んでいる最中だという。登さんは、これまで自分が学んできたことを若手に繋いでいきたいという強い思いがある。そのために若い世代に多くの経験をさせてあげたいと話す。ただ最善の策を教えてしまうのは簡単だが、失敗してこそ人は成長すると考えている登さんは、あえて口を出さない。毎年、楽しみにしてくれているお客様がいるため、すべての畑・田んぼを任せるわけにはいかないが、一つの畑、田んぼを台無しにする覚悟であえて任せるということを大切にしているという。
また、井口農場では、毎年海外からの研修生を受け入れ、農業研修を行っている。井口登さんは、若い時分にアメリカで農業経営のノウハウを学んだことがあり、その経験が今に生きている。身内や国内だけでなく、世界に自分が得た農業の経験を恩返しという形で伝えていければと考えているという。今年で第37期生となる海外研修生。毎年、研修を終え自国に帰ってしまうことは寂しいが、それ以上に研修を通じ、日本の農業というものを伝えられることが嬉しいという。これからも若手を育みながら、農業の発展のため努力を重ねていく。
生産者紹介
井口 登さん
南魚沼で米作りを行いかれこれ40年以上の経験を持つ井口登さん。20代でアメリカに渡り、農業経営を学んだ。その後、地元南魚沼に戻り、今日まで米作りに注力。未だに勉強中だと話す井口さんは、常により美味しいお米の栽培を目指している。現在は、妻である孝子さん、娘婿の忠道さんと家族経営で農業に励んでいる。若手育成にも力を注ぎ、毎年海外からの研修生を受け入れ、今年の生徒が37期生となる。趣味は海外旅行だそうで、自分の元で学んだ生徒たちに会いに行くのが目的だという。これまで農業を通して自分が学んできたことを、地元や国内だけでなく世界に恩返ししていきたいと話す。
店舗詳細
店舗名称 | 井口農場 |
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住所 | 新潟県南魚沼市茗荷沢348 |