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地元の山の幸、海の幸と共に昔から親しまれてきた「食中酒」として。新潟淡麗辛口を支える「水」と「米」と「流儀」

金升酒造

良質な「水」と「米」

文政5年(1822)年、初代である髙橋善之助が髙橋酒造店として創業。明治8年に新潟市内に移転し、現在の「金升酒造」に改名。その後、昭和5年に新発田市の現在地に移転する。酒造りにおいて特に重要なものが「水」と「米」である。新発田市に移転した大きな理由は、先に挙げた二つの条件を満たした土地であったため。当時の記録にも新発田市移転の理由として「水の便よろしき事(良質な水があること)」「米産地の中央たるべき事(良質な米が獲れること)」と記されている。

新発田藩の城下町として栄えた町の水路は、昭和の時代から現在に至るまで当時の姿を残している。水源である加治川の清流は、飯豊連峰を源流としており、花崗岩地帯を流れてきた水は浄化作用を経て、清らかさを保つ。そのためこの土地は水道水が美味しいことで知られている。酒造ではこの飯豊連峰の良質な伏流水を仕込み水として使用している。水質は清らか且つ軟水であり、最高の淡麗辛口(さっぱりとしてキレのある味)を生み出す。またこの土地を流れるこれらの清流は田畑を潤し、良質な米を育む。

金升の流儀

最高の食中酒で在り続けること。これが金升の流儀である。金升の考える最高の食中酒、料理に合うお酒とはいったいどんなお酒なのか。それは「淡麗辛口」である。もちろんこれは飲む人の好みによるところが大きい。さっぱりとしてキレのある淡麗辛口こそという人もいれば、コクがありまろやかな濃醇甘口だという人もいる。また酒蔵によって多種多様な考えがあるのも確かである。しかし、昭和の時代から、この地で採れた山の幸、海の幸をより引き立て、また、それらによってより美味しく味わえる「淡麗辛口」こそ最高の食中酒だと考えているのだ。

柱焼酎仕込 朱ラベル

日本酒だけではなく、焼酎の製造においても長い歴史も持つ金升酒造。そんな酒蔵だからこそ作れる日本酒がある。それが「金升 朱ラベル」である。「柱焼酎仕込」で仕上げた金升ならではの日本酒である。この朱ラベルは醸造アルコールの代わりに焼酎を使った、日本酒と焼酎製造の技術が合わさってできたものなのである。「日本酒と一口にいっても、酒造によって多種多様な歴史があります。しかし醸造アルコールだけは同じものを使い、そこに特徴や違いが出ない。これでは面白味がないなと思ったんです。」そう話す杜氏の髙橋巌さん。金升では地元産の酒米と水を使っている。お米についてはただ地元のものを使うというだけでなく、酒造自らが米作りに参加している。「日本酒には物語が必要だと考えています。酒造りの歴史や作り手の想い。水や米にどんなこだわりがあって、どんな技術を使っているのか。そんな背景を感じながら飲んでほしい。そう考えたときに"すべて自分たちの手で作った日本酒を"そう思い立ちました。」酒造りに対する強いこだわりから製造研究が始まった朱ラベルは、商品として出来上がるまでに実に3年の月日がかかっている。そんな背景を感じながら飲むお酒は、やはり美味い。

  • 金升酒造
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生産者紹介

杜氏:髙橋 巌
杜氏髙橋 巌

酒造り一筋"30年" 金升酒造の酒造りを統括する現杜氏である髙橋巌さん。大学を卒業後、県外の酒蔵で修業を積む。平成4年に金升酒造に入社。金升の伝統を守り、また新しい試みで至極のお酒を作り出す。杜氏の強い想いを込めた「朱ラベル」は完成までに3年の月日を費やした一押しの銘柄。焼酎製造においても技術のある金升ならではの商品で、柱焼酎仕込で作り上げた日本酒である。志しているお酒の本筋はあくまで食中酒として楽しめるもの。地元で採れた山の幸、海の幸と共に長く親しまれるお酒造りを目指している。

店舗詳細

店舗名称 金升酒造
住所 新潟県新発田市富町1丁目9番30号