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180年以上続く上越市の老舗和菓子店。代々伝わる自家製あんこがたっぷり入った「瞽女(ごぜ)もなか」は、「一度食べたら忘れられない」と評判の看板商品である。

相川菓子店 仲町通りのはずれに佇んでいます

あんこ菓子が人気の老舗菓子店

上越市の高田地区はかつて城下町だったこともあり、高田駅周辺には創業100年を超える老舗の和菓子店が多く並んでいる。仲町通りにある相川菓子店もその一つだ。創業は江戸末期。店に入ると、あんこの甘い香りが漂ってくる。ショーケースには羊羹やどら焼き、求肥など昔ながらの和菓子がズラリ。ふらっと来た地元客が「きんつば10個ください」と買っている様子からも、地域に根付いている様子が伺える。そんな同店は、創業間もない頃から自家製あんこを使った菓子には定評があり、「あんこが美味しい相川」として地元では名の知れた和菓子店だったそうだ。大正時代に入ると、商品の需要増加に伴って店の規模も拡大。メインストリートの本町商店街に店を構え、職人を10人以上も抱える大店となった。しかし、戦時期、建物疎開による立ち退きと職人の徴兵を余儀なくされ、休業。創業以来、初めて存続の危機に見舞われたが、残された者の尽力により現在の場所に移転。規模を大幅に縮小することで、経営を再開することができた。紆余曲折がありながらも代々守られてきた自家製あんこは、もちろん現在も健在だ。7代目の相川郁子さんが、時代とともに変わる味覚に合わせて工夫しながら、あんこ菓子を製造している。

高田の瞽女(ごぜ)文化を伝える、名物もなか

あんこ菓子の中でも特に人気の商品は、持ち前の自家製あんこがたっぷり入った、「瞽女(ごぜ)もなか」。「瞽女」とは、人家の門口で三味線を弾き語る盲目の女芸人のことだ。室町時代から全国に存在したが、上越市高田に根付いた文化は他の地域と少し異なる。親方と呼ばれる瞽女が弟子を抱え、「座」と称する組織を結成。その中から数人ずつが一団となり、市内各地を巡業していた。娯楽が乏しい山村では、大いに歓迎されたという。やがて、修行を積んだ瞽女がまた親方となり、座を結成する。こうして、高田では独自の文化が発展。明治時代には、20軒ほどの親方の家があり、 約100人の瞽女が活躍していたそうだ。そんな瞽女が奏でる音色に惚れ込んだのが、相川菓子店4代目の相川健太郎だ。人一倍、芸事を愛するあまり、「三味線の胴の形」をモチーフにした「もなか」を考案。それこそが現在の「瞽女もなか」だ。じつは、誕生当時は「相川のもなか」という名前だった。そして、2009年、高田瞽女の文化を保存・発信する会の求めに応じ、「瞽女もなか」と命名。同商品はその文化を後世に伝えるお菓子として地元民から愛されている。

若い世代に向けた新商品を試行錯誤

180年以上続く相川菓子店は、親から子へ、子から孫へと長きにわたって地元民に支えられてきた。しかし、7代目の相川さんは「最近は、和菓子に馴染みのない若者が増えてきた」と語る。そこで、近年は従来の定番和菓子のみならず、新たな商品もラインナップに加えているそうだ。たとえば、フルーツ大福。冷やして食べる夏用のスイーツで、パイナップルをごろっと入れた「パイン大福」、キウイフルーツをまるごと一個入れた大福である。果実の持つ爽やかな酸味と白餡の甘みが相性抜群。イベントで販売してみたところ、話題を呼んだという。上越の風景を表現したスイーツもある。黒糖羊羹の上に、白と青の寒天を重ねた「越の風花羹(かざばなかん)」。晴天時、雪が降り積もった雁木の上を舞う雪「風花」をイメージして作ったそうだ。見た目もきれいで、和菓子を食べたことがない若い世代からも注目を集めている。

  • 相川菓子店
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生産者紹介

7代目:相川郁子
7代目相川郁子

上越市出身。東京の大学を経て、出版社にて3年間務める。結婚を機に退職し、1992年、Uターン。当時は、子育ての傍ら繁忙期のみ実家の家業を手伝っていた。しかし、夫の他界を機に、少しでも母親の傍にいてあげたいという思いが芽生え、手伝いを本格化。そして、その母親が他界した2021年、7代目を継ぐ。同じく、将来継ぐことを目指して店に入った長男とともに切り盛りしている。「相川菓子店が長年続けてこられたのは、お客さんの支えがあってこそ。美味しいお菓子を作って、ただただ地域に貢献していくことが私の責務です」と微笑んだ。

店舗詳細

店舗名称 相川菓子店
住所 新潟県上越市仲町1丁目4-7