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上越の隠れた老舗「町田醤油味噌醸造場」。地元では醤油のヤマショウで長年親しまれ続けている町家の醤油・味噌店。

有限会社 町田醤油味噌醸造場 明治からの伝統と受け継がれてきた製造方法

町家の醤油・味噌店として愛され続ける隠れた名店

明治8年創業。新潟県上越市で、醤油・味噌を造る町田醤油味噌醸造場。お店が位置する高田地区は、関ヶ原の戦い以前は上杉氏の領土として、また江戸時代の初期からは高田藩の城下町として栄えた。今もなお城下町の面影を残し、その街並みには風情を感じる。徳川家康の六男、松平忠輝の居城として建てられた高田城の跡地に造られた高田公園には、当時のまま残されたお堀があり、夜になると街頭の光によって水面に桜が映し出され、その姿は日本三大夜桜の一つに数えられている。そんな上越市の隠れたお店として知られる町田醤油味噌醸造場。長きに渡り、町家の醤油・味噌の店として親しみ愛され続けている。

上越ならではの醸造

日本人の食生活には馴染み深い「しょうゆ・みそ」。町田醤油味噌醸造場の六代目にあたり現在専務の町田靖典さんは「醤油と味噌はその土地土地で独自の文化が根付いています。地域によって味わいが異なる。そこが面白いんです。」と笑顔で話す。

新潟県は、昔から良質な米の産地で大豆も豊富にあったため、醤油や味噌の原料に恵まれていた。上越は、春は日本三大夜桜の1つ「高田公園」が有名で、夏は海、秋は山々の紅葉、冬は豪雪地として四季がはっきりとした彩りある土地で「発酵のまち-上越」と言われている。地ワイン・酒蔵・味噌蔵・醤油蔵と今なお伝統を受け継ぐ蔵元が存在し、微生物の博士もこの地にいた。

味噌や醤油の起源は中国からはじまり、室町時代には味噌の製法が、安土桃山時代には醤油の製法が日本国内にあったと言われている。当初は、関西圏の町人の日用品とされ、関東圏には醤油は伝わっていたものの製造には至らず、上方から運ばれていたことから「下り醤油」と呼ばれていた。江戸時代に江戸っ子に合う醤油造りが、原料の大豆や小麦を産する千葉県で誕生した。それが現在の「濃口醤油」。今もなお、野田市や銚子市は日本の醤油一大生産地とされている。新潟県は、関東との交易が盛んで、関東の技術や思考、嗜好が影響し、醤油や味噌の製造技術が県内に伝わってきたと言われている。
その地域の風土や食文化の特徴を生かしながら醸造文化が形成され、代々受け継がれた個々の蔵の味がこの地に今も根強く生きている。米こうじが多い上越の味噌は全国的にも名高い「浮き糀味噌」で味噌汁にすると糀の粒が浮いてくる昔ながらのお味噌。醤油は、煮物に合う甘口の旨口醤油がこの地域に好まれている。

蔵癖を大切に、伝統の味を守り続ける

醤油造り、また酒造りなどにおいても、麹(こうじ)菌を使う醸造については、蔵癖というものがあり、同じ原料・製造方法をとっても、まったく同じものが出来上がることはないという。長年、蔵の柱や天井に棲みついている酵母菌が独自の環境を作り出すのだそうだ。明治の時代より受け継がれてきた伝統の製造方法を大切に、地元に愛され続ける味を守っている。

  • 有限会社 町田醤油味噌醸造場
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  • 有限会社 町田醤油味噌醸造場
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生産者紹介

町田 靖典さん
町田 靖典さん

町田醤油味噌醸造場の専務取締役を務める町田靖典さん。上越市出身。東京農業大学醸造学科を卒業後、家業である町田醤油味噌醸造場を継ぐため、醸造の基礎を学ぶ。醤油・味噌作りはその年の気温や湿度によって味が変わるため、毎年毎年完璧に同じ味を作り出すことは不可能で、そこが難しく、また面白いところだと話す。
若い頃はWEBのグラフィックに興味があり、その経験を生かし、自社のホームページは町田さん本人が写真撮影を行い制作会社と作成。また、本職を活かし食育推進事業の一環で日本醤油協会認定の「しょうゆ物知り博士」という肩書をもっており、県内の小学校で醤油のPR活動も行っている。
明治から受け継がれてきた醸造の伝統を大切にしながらも、今後は醸造場のオリジナル商品である「辛味噌鬼胡椒」などの新しい商品の開発を積極的に行い、地元上越の名産品を全国に発信していきたいと力強く語ってくれた。

店舗詳細

店舗名称 有限会社 町田醤油味噌醸造場
住所 新潟県上越市東本町3-2-24
営業時間 月~金:8~17時
土:8~14時
定休日 日曜・祝祭日